ワークショップ |きっと、会うたこともない、誰かのため(に)シーズン2

北陸富山では、その地を舞台にした映画・アニメ・マンガ・小説など驚くほど多くの文芸作品が生み出されてきました。それらの作品の”描かれた女性たち”に注目し、その地の女性像や生き方、物語での役割などを抽出表現し、皆で考え、語り合い、まちのビジョンや、まちづくりのヒントをさぐるワークショップです。映像・建築・文学・サブカル・アートにご興味ある方はどなたでもご参加可能。簡単な作品(平面や立体)を作りますが、専門知識やクリエイティブ・スキルは必要ありません。ご好評につき、2016年秋に続く2度目の開催になります。
*「きっと、会うたこともない、誰かのため」:
高岡市西藤平蔵の旧家をモデルにした木崎さと子による小説『青桐』(1984年第92回芥川賞受賞作品)より

日時:
7月15日(土)
セッション1 : WORKSHOP 13:00〜15:00
(終了後、17:00頃より別会場にて懇親会/有志の方のみ)
7月16日(日)
セッション2 : WORKSHOP 13:00〜15:00 
セッション3 : DISCUSSION「まとめ+できた作品から皆でまちづくりのヒントをさぐる」15:00 〜17:00
*全セッション、または1セッションでもご参加可能です。
*両日とも、会場は10時よりオープンしていますので作業可能です。スタッフが在駐しており、随時制作方法を説明します。

会場:
高岡市男女平等推進センター(ウイング・ウイング高岡 6F)
富山県高岡市末広町1-7(高岡駅前) アクセス

参加費:
(一般)1000円(学生、フリー、および未就業者の方)500円
*この料金で全セッション参加可能です。

参加方法:
氏名、所属、連絡先を記入のうえ、事前に メールにてご予約下さい。
定員(20名)になり次第締切らせていただきますので御了承下さい。
* 事前に個人リサーチして頂くことをお勧めしています。可能な方は予約時にお知らせ下さい。
*高校生以上どなたでもご参加可能です。(中学生の方は事務局までご相談下さい)
*市外、県外、首都・近畿圏の方、グループでのご参加も歓迎します。(宿泊施設紹介ご希望の方はお知らせ下さい。)
*建築、都市計画、デザイン、美術系専攻の大学生の方のご参加も歓迎します。異分野の人と交流しながら作品をまちづくりへ結びつける方法について学ぶことができます。
*ボランティア・スタッフを募集しています。(シネマティック・アーキテクチャの手法や魅力に企画段階より接していただけます)
* English speakers are welcomed. Please have a look at our English website.(英語のできる方もご参加できます)
* ご質問もお気軽にどうぞ。

主催:
シネマティック・アーキテクチャ東京(CAT)

後援:
富山県/高岡市/高岡市教育委員会

協力:
NPO法人プロジェクトひと・みち・まち
NPO法人 日本都市計画家協会

事前説明会in高岡:
*終了しました。ご参加ありがとうございました。
4月30日(日)13:30〜15:00
(会場 ウイング・ウイング高岡 6F会議室B 富山県高岡市末広町1番7号 高岡駅前)
* ご興味ある方は時間内いつでもおいで下さい。
* ご質問はメールにていつでもご連絡下さい。

参考作品例:

映画
人生の約束』(2016)、『アオハライド』(2014)、『すず』(2013)、『ほしのふるまち』(2011)、『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』(2011)、『死に行く妻との旅路』(2011)、『 true tears』(アニメ2009年)、『キトキト!』(2007)、『歌謡曲だよ、人生は』(2007)、『 ONE 一つになりたい』(2007)、『ストロベリーショートケイクス』(2006)、『8月のクリスマス』(2005),『透光の樹』(2004)、『blue』(2003)、『DRIVEドライブ』(2002)、『螢川』(1987)、『赤い橋の下のぬるい水』(2001)、『疑惑』(1982)、『瀧の白糸』(1933)ほか

アニメ
おおかみこどもの雨と雪』(2012)、『true tears』(2009)ほか

小説
夜の隅のアトリエ』(2012)、『透光の樹』(2004)、『 谷間の女たち』(1989)、『青桐』(1985)、『風の盆恋歌』(1985)、『 螢川』(1977)、『 鶴のいた庭』(1957)、『七夕の町』(1951)、『義血俠血』(1894)ほか

マンガ
月影ベイベ』(2013-2017)、『 ほしのふるまち』(2006)、『鱗粉薬』(2000)、 『まんが道』(1977)ほか

*参照する作品は、参加者の方が各自お選び下さい。上記リスト以外でも構いません。その際、一部でも高岡、富山、北陸が描かれているものも対象になります。
* 参照する作品は、参加者の方が選んでくださって構いません。その際に、一部でも高岡、富山が描かれているものも対象になります。ご希望の方には当方より推薦も可能です。
* こちらもご参照下さい。
たかおか生涯学習ひろば 文学事典

○関連作品紹介と解釈の手引き

ワークショップに関連する作品のいくつかを紹介します。自由な解釈や独断的な見立てをしていただくヒントや、特に女性登場人物に焦点を当てる見方、そこからまちづくりの考え方への結びつけ方など、本ワークショップのご理解に役立ててください。

『青桐』小説(1985)

木崎さと子による芥川賞受賞作『青桐』は、主人公・充江(みつえ)の視点を通して、死期を迎えた叔母を没落する高岡市の旧家に重ね合わせ、たくましく生い茂る青桐(梧桐)の樹の生命観を対比させた中編小説。
 思い出の大切さや、人は誰のために生きるのか、といった問題提起がなされ、いよいよ死期が近づき、都会から集まってきた家族たちと叔母や充江との間に現れた時の流れによるギャップが浮き彫りになります。
ここで重要なのは、叔母は、なぜ手術を拒み、自然死を選んだのか、充江の反応を含めて考えると面白くなります。叔母の背後にあるのは“(これまで続いて来た)家”で、叔母はその家をどう扱おうとしたのか...。そして、物語の語り手の充江は、それをどう受けとめたのか。その“家”を衰える地方都市の断面と捉えることができるのか。
 『青桐』は英訳され海外でも読まれています。青桐の英名は、Phoenix Tree(復活の木)。舞台とされる高岡市の市街地から南に下った西藤平蔵(にしとうへいぞう)は、黒瓦の大きな家々が並ぶ優雅な佇まいの田園風景が印象的。
なお、本ワークショップのタイトル「きっと、会うたこともない、誰かのため(に)」はこの作品の叔母の台詞から引用されています。( 木崎さと子

『アオハライド』映画(2014)

咲坂井緒の原作漫画は、どこかの郊外都市、アニメ版は東京西効が舞台でしたが、映画版は、高岡市、富山市がメインです。
 ストーリーを、たんに主人公の女子高生・吉岡双葉の、幼なじみの洸と結ばれるプロセスとしでなく、双葉によるクラスや友達関係の構築のプロセスとして捉えれば、彼女が“ひたむき” に周りをかき回すことで、(じつは彼女は、周りを調和させるバランス感覚も持つ)コミュニティやネットワークが創生されて行く、都市に必要な建築家や都市プランナーの原点”まちづくり行動”をイメージさせはしないでしょうか。( 予告編

『true tears』アニメ(2008)

富山県呉西地区が舞台とされている珠玉のラブストーリー(制作は南砺市が拠点のP.A.ワークス)。主人公の高校生・仲上眞一郎の人間的成長と、絵本作家としての旅立ちを、彼をとりまく三人の少女がどのような方法で励まし、サポートしたのかを考えると面白いです。とくに、不思議な少女・石動乃絵(いするぎのえ)は、同じ北陸が舞台の泉鏡花(1873年- 1939)による悲恋小説『義血俠血』(1894)の水芸人(水芸人)・瀧の白糸をイメージさせます。true tears(本当の涙)とは誰の、何のための涙なのか、エンディングで分かります。( 主題歌PV

『月影ベイベ』マンガ(2013-17)

『坂道のアポロン』の作者・小玉ユキによる、富山市八尾が舞台の、おわら風の盆と、東京から来た謎めいた少女をめぐる物語。
 今は亡き建築家の母・繭子からおわら風の盆を教わった女子高生・峰岸螢子。異邦人・螢子と周りの人々がぶつかり合ううちに、閉ざされていた人々の心が次第に開かれて行きます。母・繭子の、娘や、恋人を含む人々や未来への心遣い、それは、建築家ゆえの構築的発想からではないかとさえ思えます。( 月影ベイベ

8月のクリスマス』映画(2005)

韓国映画のリメイク版『8月のクリスマス』の舞台は高岡。不治の病を宣告された小さな写真館の店主・寿俊と小学校の代用教員由紀子のささやかな心の触れ合いです。静かに死を迎えるつもりだった寿俊、由紀子が本物の先生になる手助けをすることが生きる証となったのは、由紀子との出会いと彼女の存在に他なりません。
 もう一つのポイントは、記憶を写し取る写真と形にはならない面影・イリュージョンのもたらすもの。寿俊が由紀子に見せる、僕の一番好きな風景は、金沢市犀川沿いのW坂からの眺め。写真のように彼女はこの眺めを自分だけの映像として持ち続けるのでしょうか。これは何を意味するのか、考えてみると面白いでしょう。( 予告編

『ほしのふるまち』(映画・マンガ)2011

日本海のまちが背景の、東京の落ちこぼれ高校生・恒太郎と富山の薄幸の少女・渚との触れ合い。渚は、「私には、ここ(富山)しかない。」という状況にありながら「東京やと見えん星も、ここでは輝いて見えるんやね。それならこの町も悪くないね。」(人は必ずどこか輝く部分があって、それが見える場所がある)という台詞は、恒太郎をポジティブに励ますと同時に、そのまち(舞台は氷見と高岡)の価値をも示唆しています。
 登場人物の生活圏がしっかり設計され、ディテールまで綿密に描き込まれた原秀則による原作と、不格好に悩みながら、それでもひたむきに生きる人々の姿を瑞々しく描いた映画。
ちなみに、原作には映画には描かれなかった、もうひとつの感動的な後日談があります。( 予告編

「blue」映画(2003)

海辺の女子高(高岡市伏木高校)に通うキリシマとエンドウの数ヶ月の心の触れ合いを描いた作品。エンドウは、キリシマに美術や音楽の影響を与え、やがてキリシマが自分の才能に気づいて東京に出て行きます。しかしエンドウは「私には何も(才能を持た)ない」と言ってこの地にとどまります。ただ、これをポジティブに受取るなら、「何もない」エンドウを受けとめるのはこの町でしょうし、エンドウが、キリシマに送ったビデオも、彼女なりの感性を表現した“作品”で、それは、受取る人さえいれば、東京でなくとも、どこの町でもいい、と考えられはしないでしょうか。( blue本編

『花咲くいろは』アニメ(2011)

石川県能登半島のある町を舞台に、そこで働く女子高校生たちが傾きかけた温泉旅館を救うために奮闘する物語。そこには、旅館だけではもったいないくらいな、まちづくりに生かせる多くのメッセージが鏤められています。旅館を「まち」に置換えれば、良いまちづくりのためには、コミュニティがどうあるべきか、そこで、まちづくり人や都市計画家、それに建築家が、それぞれどういう役割を演じるべきなのか考えさせてくれます。アニメ『true tears』と同様、富山県南砺市拠点のP.A.WORKS制作のアニメ・シリーズ。

『風の盆恋歌』小説(1985)

克亮(かつすけ)とえり子は、30年を超える愛を実らせるために、二人を結びつけた思い出の地、八尾町(富山市)を終の住処とします。人目を忍ぶその愛は静かなもの。北陸の女性・えり子は、東京にいる克亮に、日常の合間に作られた寡作な和歌で切ない心を伝えます。
 二人の家の世話をする、八尾の老女・とめは、その様子を始めは冷静に見つめながら、やがて彼らの愛を支持し、真心の籠った助言さえするようになります。とめ自身の叶わなかった思いに加え、二人の信念が、たとえはるかに人生経験の豊富な彼女の心の琴線にも触れたからなのでしょうか。
 八尾の町の路地は、人目を忍んで会うことのできる環境なのだ、という記述があります。おわら風の盆というハレとケのある八尾だからこそ生まれた特有の都市構造や建築形態なのかもしれません。
 人が、出会い、そして信念を育み、持ち続けることの価値、そして寡少さが表す豊富さ(つまりLess is moreの理念)を美しい文章で伝えてくれます。
 ちなみに、本作は、石川さゆりが歌った『風の盆恋歌』(1989)の下敷でもあり、作品紹介(3)のマンガ『月影ベイベ』(2013-17)の参考作品としてクレジットされています。

つづく